第9回:2009年8月5日(水)
「障害者アートと市民教育のゆくえ──教育現場から」
話題提供者:川上文雄(奈良教育大学教員)
会場:應典院(大阪市)
主催:財団法人たんぽぽの家
共催:アートミーツケア学会、エイブル・アート・ジャパン、應典院寺町倶楽部
話題提供者は、奈良教育大学教授の川上文雄さん。
市民教育という視点から、エイブル・アート・ムーブメントとの関わりを通じてアートへの新しい接し方を追求しています。今回は、先生が行っている授業および学生とともに企画開催している展覧会について、お話いただきました。
今回は、韓国の京畿文化財団からの参加者も含め、約20人が参加しました。
「今日は自伝的な話になります」とのこと。まずは、エイブル・アート・ムーブメントとの出会いについて。先生は、あることがきっかけで障害のある人の作品を用いたポストカード集を購入したところ、それを用いた授業ができないかと思うようになったとのことです。
その実践は、教室での授業という枠だけにとどまらず、奈良のギャラリーなどで過去4回にわたり、展覧会を開催することにもつながりました。実際に授業で使用されているというポストカードを前に、写真や奈良テレビで取り上げられた際の映像を交え、話を伺いました。
ある回の授業の様子。それは、先生が机に100枚近くの絵はがきを並べ、学生を待つことからはじまります。教室に入ってきた学生は、そこで絵はがきと「出会う」のです。次に、学生は一枚のはがきを選び、席に戻ります。そして、絵はがきに「コメント」をつけるように言われます。じっくりと行われる、作品との対話。ここでは引用しませんが、先生が紹介した学生のコメントはどれも興味深く、この作品でそんなふうに思うのか、と、はっとさせられるものや、うん、と頷きたくなるものが多くありました。
先生は、そのようなコメントを書かせる力を持つ、障害のある人の芸術作品の「教育力」に注目しているといいます。作品が、学生に言葉を生みださせる。また、学生の言葉が作品にオーラを与える。授業内では、他の学生が書いたコメントを読んだり、他の学生が選んだ作品にコメントをつけたり、といったことも行われます。確かに、コメントを読んだ後では、その作品のみかた、作品と自分との関係が変わってしまうこともあるでしょうし、この人はこんな見方をしているのか、と他の学生に対する思いが変わることもあるでしょう。そのような、何層にもわたって展開される「関わり」を持つこと、それが重要なのだと思います。
展覧会も、ただ原画を集めて展示するだけではありません。作品を制作したアーティストに会うために、施設を訪れる機会を持ちます。また、展示においても、学生が書いたコメント、絵はがき、原画を並べたり、原画から触発されて学生が制作した作品-絵画にインスピレーションを得た立体作品など-を一緒に並べたり。
「学生とアーティストの関わりが感じられるような展覧会を目指した」という川上先生の言葉どおり、学生は、スタッフとしてだけではなく、「表現」というかたちでも展示に関わっていることが伝わってきました。今後は、自分が展示したいと思う作品を借りるために、学生たちがアーティストに手紙を書くというようなこともとりいれたい、とのことです。
出会いの場をつくり、出会いを助け、出会いから自ら学ぶ環境をつくる。先生のしていることは、そんな、学びの場の創造なのではないかと思いました。
それらは、確かに、障害のある人が活動している場に直接参与するものではありません。けれども「作品の享受というかたちの創造性」があるのではないか、という先生の指摘は、私たちとアートとの関係を考えるうえで、示唆に富むものといえるでしょう。
前半の発表が終わり、後半は前回と同じく、参加者皆でディスカッションを行いました。
参加者の質問から、話題は「障害のある人/ない人のアートの社会性」「作品をみるということ」などにおよびました。
「社会性」ということに関しては、障害のある人の作品に社会性があるのかどうかは、わからない。けれども、表現という土台は同じ。心に突っかかってくる作品には社会性があると思う、という意見がでました。
また、障害のある人の作品には、語り得ぬものが秘められている。その語り得ぬものを前にして、私たちはみんな、詩人になるという参加者もいました。
「みるということ」に関しては、「自由に表現する、という自由さと同じように、自由にみるという自由さがあっていい」と言う川上先生。学生にも、それを体感してほしい。だからこそ、美術批評ではなく、自らの言葉でコメントを書くことが大切なのでしょう。そして、それにより、ある作品が、自分にとって、かけがえのないものになっていく。その関係性の変容のなかで、一方的な教えではない、学びが行われているのだと思いました。
また、「どうしても枠にはめて作品を見ようとしてしまう自分に気付いた」「みる側が表現し、展示する、ということに新鮮なおもしろさを感じた」といった声もきかれました。
これまでの研究会では、障害のある人の芸術活動に則し、その実践を報告するものや、考察するものが中心でした。けれども、今回は「作品をとおして」という、また異なるアプローチから、障害とアートとの関わりについて考えることになりました。どのように関わっていくのか。「関わり」を創造していくことは、誰しもができることです。そして、それこそが、これからの市民社会において欠かせないことだと言えるのではないでしょうか。
井尻貴子(「障害とアート研究会」コーディネーター、大阪大学大学院文学研究科 臨床哲学 博士前期課程)