障害とアート研究会 第6回:2009年3月1日(日)

「高嶺格展アテンド報告会」

話題提供者:光島貴之(造形作家、ミュージアム・アクセス・ビューメンバー)、山川秀樹(ミュージアム・アクセス・ビューメンバー)
会場:ろうきん心斎橋ギャラリー(大阪市)
主催:財団法人たんぽぽの家
共催:アートミーツケア学会、エイブル・アート・ジャパン
協力:近畿ろうきん


今回は、ろうきんギャラリー心斎橋での開催、30名ほどの方が参加されました。
話題提供者は、高嶺格「大きな休息」展でアテンドをされていた、光島貴之さんと山川秀樹さん。アテンドという言葉は聞きなれないものかもしれません。それもそのはず、美術館の展示は多くの場合、ひとりでみてまわるものであり、そこにアテンドはいません。しかし、2008年11月29日~12月24日までせんだいメディアテークで開催されていた、高嶺格「大きな休息」展で発表された新作「大きな停止」は、鑑賞者が、視覚障害 のあるアテンドとともに、ツアー形式で会場を歩いてまわるという作品でした。(「大きな休息」展のHPは こちら

そこで、今回は活動報告「高嶺格展アテンド報告会」と題し、この類をみない展覧会に参加されたお二人を話題提供者にむかえ、展覧会について、アテンド体験をとおして考えられたことなどについて座談会のような雰囲気でお話いただきました。

最初に、私(コーディネーター)から展覧会と「大きな停止」について、簡単に説明させていただきました。今回発表された新作「大きな停止」は、メディアテークのギャラリー1095㎡を使ったインスタレーションです。そこには、枠張りされた着物、宙吊りの小屋、壁に張られた布パネルや障子、粘土のつまれた自転車に、トタン屋根といったものが点在していました。それらに使用されたのは、主に、愛島のある家の廃材や調度品。そして、もうひとつ特筆すべきことは、ツアー形式で鑑賞する作品であったということ。一回のツアーは40分程度、一回のツアーにつき、アテンドは一人、鑑賞者はそのつど人数が異なりました。
まずは、アテンドをすることになった経緯について、そして実際に行ってみてどうだったのか。どのようなことがそこで起きていたのか、についてうかがいました。

もともと、高嶺さんとお知り合いだった光島さんは、今回の作品のアテンドを視覚に障害のある人にお願いしたいと考えていると相談され、「おもしろい!」と感じたとのこと。また、光島さんに声をかけられた山川さんも、具体的な内容はよくわからないながらも、高嶺さんの考えに共感する部分があり、「みえないとか障害とかなんとか、ということよりも、もう少し表現として、自分が何かできるのではないかという予感」を感じ参加を決めたとのことでした。また、高嶺さんご自身にも「なぜ視覚に障害のある人にアテンドをお願いしようと思ったのか」についてお話いただきました。高嶺さんが当初、アテンドに望んでいたことは、みえないという感性でこれらの作品を語ってほしいということだったそうです。「作品の解説ではなく、みえる人を裏切るようなことを言ってください」という高嶺さんの言葉に、アテンドの方は日々向き合うことになりました。

続いて、実際に行ってからどうだったのかをうかがいました。
「(会場に)何があるかというのはみえる人にとってはわかる。僕も全体像はみえないわけだけど、探りながら歩いていくと、手はあたるし、わかる。そこで何しゃべったらいいんだろう?と最初は悩んだ」という山川さん。また、作品が点在している会場内の道順を覚え、まともに歩けるようになるまでに、3日ほどかかったといいます。一方、光島さんは会期がはじまる前の準備段階から、オープニングまでを手伝ったそうです。高嶺さんに案内してもらいながら会場を歩き、視覚障害の人にとって、どうしたら歩きやすくなるかなどに頭を悩ませたとのこと。けれど、マニュアルはつくらないという方針をとりました。「自分で考えなければならない。感じなければならない。それがおもしろいところでもあり、苦しいところでもある。」感じたことを話すこと、そのことが、アテンドの方々の課題となったそうです。

3日を過ぎ、会場にも慣れた山川さんにとって、その後のツアーは「こんなことがおこるんだ」「すごい」の連続、「40分を一緒に過ごして、終わったときに感じた、参加してくれたみんなとの距離の近さはなんだろう、と思った」そうです。偶然一緒にまわることになった鑑賞者とアテンド。そこから、その後につながる関係が生まれ、いまも連絡を取り合っている方々もいるとのことでした。

また、視覚障害の人が案内をするという観点から、ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)にも話は及びました。
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、「まっくらやみのエンターテイメント」。参加者は完全に光を遮断した空間の中へ、何人かとグループを組んで入り、暗闇のエキスパートであるアテンド(視覚障害者)のサポートのもと、中を探検し、様々なシーンを体験します。1989年にドイツで生まれたこのイベントは、1999年以降、日本でも毎年開催されています。(DIDのHP http://www.dialoginthedark.com より)

今回の展示とDIDの大きな違いとして、暗闇ではないこと、つまり、晴眼者が一時的にみえない状態を体験するという設定ではないことがひとつ指摘できると思います。DIDの空間は、暗闇であり、晴眼者にとって、そこを歩くことは困難を伴います。その空間において、何の不自由もなく歩くことができる視覚障害者は頼もしい案内人であり、できる/できないの価値転倒が起こると言えるのではないでしょうか。
一方、「大きな休息」においては、できる/できないという二項対立は存在しません。みえること、みえないことが、同じ地平のこととして、そこにはあったように思います。そして、だからこそ山川さんは最初、何を話せばいいのかわからないと戸惑ったのではないでしょうか。その戸惑いを光島さんに相談し、「みえないから言えること。自分にしか言えないこと」を話すようアドバイスをうけたそうです。また、鑑賞者と「話す」ということを重視された山川さんは、「毎回ツアーの最初に、鑑賞者にも、感じたことをどんどん言ってね、とお願いしていた」とのこと。
「そうすると、みんなからも必ずでてくる。」そして、それらの話をきいて、自分からもどんどんでてくる。何でこんなこと思い出したんだろう?というような話がいくつもあったそうです。

たとえば次のようなエピソード。会場の床に置かれていた瓦にぶつかったときのこと。ひんやりとした触感。そこから思い出されたのは、母親の実家、花火大会。子供のころ、二階から一階の屋根に出て、座って見ていたそうです。「花火きれいだと思うんですけど、僕は生れてすぐ見えなくなっているので、僕にとって花火はでっかい音と、瓦の地響きなんです。」

また、光島さんから高嶺さんに対し「視覚障害の人によるアテンドが実際に始まってみて、当初考えていたことと、相違はあったのか」という質問がされました。「最初はみえる人と違うようにあることを求めていたかもしれない。まったく違う存在という幻想を抱いていた部分がある。でも、それは暴力的なことだった」という答え。それに対し、喧嘩売ってるのかと思った、と笑う山川さん。いまでこそ笑えるけれど、はじめはみえない人として、みえない人にしか言えないことを、感じたままに言う、ということの難しさを痛感した。みえる人、歩ける人、というマジョリティのなかで生活していると、自分たちも知らず知らずのうちにその価値観にのってしまっていることに、改めて気づいたと話されました。
みえない「ありのまま」を提示するのは無理な話。でも、みえる鑑賞者の人とやりとりをしていくなかで、みえない自分が出てくる。光島さんも、アテンドをし、感覚として、音や触覚に敏感になって帰ってきた。ふだんは、それほどみえないことを意識しない。みえる人の世界にあわせてしまっていることに気づいたといいます。

参加者の方からは、「鑑賞者の年齢層はどうだったのか」「どのくらいの人数がアテンドをやりやすかったか」といった質問がなされました。参加者は美術系の大学生や、高嶺さんの作品が好きだという人が多く、比較的若い人が中心だったが、子どももいたそうです。また、人数は「4、5人がやりやすかった。人数が増えれば、勝手にまわる人もでてくるし、離れていってしまう人もいる。社会の縮図だと感じた」とのことでした。

「大きな停止」には、計13人ほどの視覚障害のある方がアテンドとして参加されていました。もちろん、話されることに違いもあったでしょう。アテンドによって、鑑賞者によって、ツアーによって、「大きな停止」はさまざまな顔をみせていたようです。

みえる、みえないという違いがある。けれど、みえる人もみえない人もそんなに違いはない。
そのあいだを行ったり来たりすることでしか、私たちは関係をつくることはできないのではないでしょうか。
やりとりによって、みえてくるものがある。みえてきたものによって、また自分がつくられる。そのことをその場にいることにより、実感する作品だったように思います。

井尻貴子(「障害とアート研究会」コーディネーター、大阪大学大学院文学研究科 臨床哲学 博士前期課程)