「障害者アート団体 片山工房の活動から」
話題提供者:新川修平(片山工房代表)
会場:應典院(大阪市)
主催:財団法人たんぽぽの家
共催:アートミーツケア学会、エイブル・アート・ジャパン、應典院寺町倶楽部
今回は神戸市長田区の作業所、片山工房の代表・新川修平さんに「障害者アート団体 片山工房の活動から」と題し、報告をしていただきました。作業所の活動、「カタヤマ・クラブ」の活動、運営などについて伺いました。
片山工房は、無認可の小規模作業所という運営形態をとっています。その人(障害のある人)と何かおもしろいことをやろうとしたら、それがアートだった、という、活動のはじまりから現在までの様子、変遷を語るなかで、「人を軸に活動をしている」ということを繰り返し強調されていました。それは「本人さんがやりたいと言ったらやる」という言葉にも表れていたように思います。三障害のうち、身体障害のある人の利用が多い片山工房では、たとえばヘッドギアを改良し、筆をつけ、描くことができるようにしたり、動く足だけで、紙コップを蹴って描く方法を編み出したりと、本人とじっくりと時間をかけて話し合うなかで、さまざまな創作活動が生まれています。
アートクラブとしての「カタヤマ・クラブ」は、週一回から月一回でも活動したい方をうけいれ、2年間で14名の利用者が登録したと言います。他の作業所に所属しながら、ときにはここで表現活動を行う人、また、最近では大阪から通う人もおり、「毎日でなくても表現活動を行いたい人が多い」一方で「アート活動の場が与えられていなかった現状が浮き彫りになっている」という現場からの指摘は、法制度が変わり、障害のある人と、その人をサポートする状況も変わらざるをえないなか、重みを持っています。
前半の発表が終わり、後半は参加者全員での意見交換。
「ほかの作業をメインにおき、そのおまけ的な感覚でアートをする、という作業所は多い。なぜ、アートをメインに置こうと思ったのか」という質問に対しては「正直、アートでなくてもよかった。メンバーができることをつくりだそうとしていたら、まわりがアートと言いだした」という答え。「精神障害、知的障害、身体障害という障害の違いにより、創作活動をサポートする際にも違いはあるか。何か工夫をしているか。」「違いはある。精神障害や知的障害の方は、こちらからはたらきかけなくても、どんどん作品ができることが多い。身体障害の方には、はたらきかけが重要になる。どのように道具を使うか、なども、とことん話しあう。また、狭い場所(八坪)なので、時間や曜日で区切って使ってもらっている」など、運営上の問題や工夫に関する質問が多くでました。ほかに、運営に関しては、施設関係者だけでなく、神戸のギャラリーやアート関係者とネットワークを作り、動いているとのことでした。
アート、作品という言葉が飛び交うなか、「地味ですよ。スタッフは、地味なことばかりやっています」と語った発表者。
たしかに、アート、というと華やかな印象をいける人もいるでしょう。しかし、その根底には、アート活動を支える、のではなく、その人の活動を支える、ということがあります。待つこと、耳を傾けること、話し合うこと。その日々は、確かに地味かもしれません。しかし、片山工房の日々は、地味、というよりも、丁寧という言葉がぴったりくるように思います。
丁寧に、人と向き合うこと。そこで大切とされていることは、大切であるとわかっていながらも、私たちが煩雑さのなかで、つい省いてしまいがちなことでもあります。それを
必要不可欠なものとする、片山工房のあり方は、私たちに多くの示唆を与えてくれます。
実践報告は、現場での実践が言語化され伝えられる、貴重な場である一方、後半の意見交換の場が、発表者への質問に終始してしまうことが多くあります。
また、漠然と感想を述べてくださいとか訊かれても、話しづらい、という意見も出されました。今後、語り手、聞き手、という形に集約されない場を、どのようにつくることができるのか、コーディネーターとして考えていきたいと思います。
井尻貴子(「障害とアート研究会」コーディネーター、大阪大学大学院文学研究科 臨床哲学 博士前期課程)