「『障害者アート』と『共同性』~ある知的障害者の創作現場から」
話題提供者:岸中聡子(産業カウンセラー)
会場:應典院(大阪市)
主催:財団法人たんぽぽの家
共催:アートミーツケア学会、エイブル・アート・ジャパン、應典院寺町倶楽部
今回は岸中聡子さんに「『障害者アート』と『共同性』~ある知的障害者の創作現場から」と題し、発表していただきました。岸中さんは、大阪府立大学大学院人間文化学研究科比較文化専攻 博士課程前期修了し、現在は、産業カウンセラー、キャリアコンサルタントとして離職者の再就職支援に従事しています。
障害のある人のアートの創作過程における援助を重要視し、「共同性」をキーワードに執筆された論文の内容を中心に、同論文執筆にあたり知的障害者授産施設である「あけぼの寮」(仮名)で1ヵ月にわたり行われたフィールドワークでの経験などを伺いました。
1990年代以降、障害のある人の創作が「アート」として展示される機会が増えており、その表現そのものに注目が集まっています。反面、これらの展覧会では、その創作過程における、作者と援助者の関わりは明らかにされていません。けれど、その関わりは、「『障害者アート』を構成する重要な部分として受けとめられるべきではないか。作品だけでは『障害者アート』を捉えることができないのではないか」このような問題意識から、岸中さんは、入所型施設あけぼの寮(仮名)の「やきもの科」で1ヵ月フィールドワークを行ったそうです。
そこでは、障害のある寮生と職員の間には実作業だけでなく、メンタル面、生活面にまでおよぶ関わりがあったとのこと。たとえば、集中力が途切れたときに声をかけたり、ほかの作業をすることを提案したり。また、逆に、打ち込んでつくるあまりに、動かなくなってしまう人に対しては、散歩に行こう、と声をかけたり。また、薪窯で行う焼成は、寮生だけでは到底できない作業であり、職員の力が発揮される場面であったようです。
そこでは、創作は寮生、焼成は職員というような単純な分業はされておらず、同じ場所に参加し、同じ時間を共有できるように関わっていました。一方で、職員は創作のプロセスをけっして共同作業とは表現しなかったそうです。けれども、そこでの関わりは、「援助者から被援助者への一方的な指示や、作業の単純な分業ではなく、相互関係性とも言えるものなのであり、表現が形になる過程に分かちがたく存在している」、そして「そこから生まれたものを私たちは『作品』と名付けている」と岸中さんは論じています。
前半の発表が終わり、後半は参加者皆でディスカッションを行いました。
作品に対する職員あるいは指導者の手直しについて「『その人らしさのでる作品』というとき、らしさの基準をどこにおくのか」「つくらないこと、創作をやめることも、その人らしさと言えるのではないか」「創作の過程における自己決定が大切である、というのは頷ける。『作品』という最終形をとらなくてもいいのではないかと思った」などといった意見が活発に交わされました。
「らしさ」については、「自分は、展覧会で作品をみた人のリアクションから、作品のなかの自分らしさに気づく。知的障害のある人や、あけぼの寮(仮称)などの職員は、展覧会で、作品を観た人のリアクションについては、どのように考えているのか」という疑問もだされました。それに対する「知的障害のある人本人が、そのようなリアクションをどう受け止めているのか判断するのは難しいこともある。何ヶ月も先の展覧会を目指して創作する、というよりも、身近な人のリアクションを期待していることが多いように思う」という答えから、「自己決定」、「表現」、「創作」における援助は、障害によっても異なるのではないか。あけぼの寮(仮称)では、知的に障害のある人の入所施設であることから、創作における援助についても、毎日を生き生きと過してほしい、という思いがその援助の柱となっているのでは、という意見もでました。
また、「共同性」というキーワードをめぐり、障害のある人とアーティストがペアになり、創作を行うアートリンク・プロジェクトや、老人ホームでお年寄りと作曲する野村誠さんの活動などが例として出され、創作におけるプロセスの重要性とそのおもしろさ、また、それをみせることについて議論されました。表現のなかにプロセスが見え隠れする。プロセスが大事ではあるけれど、プロセスだけが大事ではない、といった意見が出されました。
しかし、とりわけ、障害のある人の創作活動において、援助されているということが、なにかマイナスとされ、そのことをみない、みせない傾向にある、という点は見逃してはならないように思います。「創作者と援助者の関係が表だって触れられないことへの違和感がある。それは、人々のなかにある障害者観が影響して、語らせないのではないだろうか」という岸中さんの言葉は、障害だけでも、アートだけでもない、社会への問いかけであると思いました。
今回は、研究会開始前に、自己紹介と交流の時間を設けました。そのこともあり、また、回を重ねてきたこともあり、後半の時間、今までよりも話しやすかったという感想が聞かれました。参加者それぞれが自身の経験を反省しながら、話題に関連した様々な意見を出し、また考える、という場になり、私自身、とてもおもしろかったです。
井尻貴子(「障害とアート研究会」コーディネーター、大阪大学大学院文学研究科 臨床哲学 博士前期課程)