あなたのアートを社会へ発信し、”しごと”につなげてみませんか?

第5期登録作家募集今年もエイブルアート・カンパニーでは第5期登録作家(カンパニーアーティスト)を募集しています。
エイブルアート・カンパニーを設立した2007年より年に1度(10月~12月)全国的に公募を行っており、「1作家30点以上の作品写真を同封」と少し高い条件にもかかわらず、毎年100名をこえる全国各地のアーティストより応募があります。
現在は第1期~4期の登録作家57名、約5,300点の登録作品があり、アパレルブランドのTシャツや書籍・広報誌などの表紙デザイン、その他、ロゴマークや商品パッケージなど、障害のある人たちのアートがさまざまなカタチで発信されています。
この機会に、ぜひあなたのアートを社会へ発信し、”しごと”につなげてみませんか?
応募方法などの詳細はエイブルアート・カンパニーのウェブサイトをご覧ください。

エイブルアート・カンパニーこぼればなし
エイブルアート・カンパニーの登録作家には、今まで全く外に作品を発表しなかった人も、こんなイラストが商品になるの?と家族も支援者も可能性を見いだせなかったものが、審査員の眼を通して表舞台にデビューしたこともあります。
また、アーティストは西へ東へ、プロモーションイベントを通じ、さまざまな人と出会い、仕事だけではなく生活の幅も拡がっています。

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エイブル・アート 日韓の交流

 エイブル・アート・ムーブメントは日本だけではなくアジア各都市、世界に広がっています。そのなかでも特にここ数年、韓国との交流が増えています。

 きっかけは2004年にソウルと奈良で開催された「障害者アート」日韓シンポジウム。ここに参加した牧師、チャン・ビョンヨンさんがたんぽぽの家の取り組みに刺激され、韓国・水原(スウォン)で障害のある人の創作活動や地域の文化交流の拠点となる「エイブル・アート・センター」の構想を掲げました。チャン牧師はじめスタッフがたんぽぽの家に滞在して研修を受けたり、2009年9月の「アジア太平洋わたぼうし音楽祭」の開催、同時期の「エイブル・アート・フォーラム」開催の運営にあたるなど、ムーブメントの理解と普及に貢献いただいています。

アートリンク・プロジェクトの作品
アートリンク・プロジェクトの
作品『幸せなお化け屋敷』
アートリンク・プロジェクトの制作の様子アートリンク・プロジェクトの制作の様子

 同時に、「エイブル・アート・センター」が建設されている地域、京畿道(キョンギド)を拠点として活動している京畿文化財団もエイブル・アートに関心を示し、2009年7月にはたんぽぽの家と共同で「アートリンク・プロジェクト」を開催しました。


ドキュメントを掲載したカタログ
アートリンクの詳細な
ドキュメントを掲載したカタログ

京畿道に在住しているアーティスト5人とキュレーター、事務局スタッフが約3週間たんぽぽの家に滞在し、たんぽぽの家アートセンターHANAの障害のある人たちとともに共同で創作活動をしました。ここで生まれた作品やドキュメントをまとめ、2009年11月にナム・ジュン・パイク・アートセンター(京畿道)にて展覧会を開催しました。


アートリンク・プロジェクトの制作の様子
『生きのびるためのアート 日韓展』
ジュ・ヨンエさんの作品
『生きのびるためのアート 日韓展』展示風景
『生きのびるためのアート 日韓展』展示風景

 そして、今年2010年、京畿道の精神障害のある人のサポートセンターを統括している京畿広域精神保健センターとのコラボレーションが実現しました。日韓の精神障害のある人の表現を中心に、京畿道13ヵ所の会場を巡り、8月には東京の「アーツ千代田3331」にて展覧会「生きのびるためのアート 日韓展」および「病と人間の文化フォーラム」を開催しました。
自らのなかにある病を見つめ内へ向う作品もあれば、思い切り開放される作品もあり、シンプルながら各作品とじっくり向き合える空間が生まれました。

 一連の交流の中で感じるのは、交流したアーティストやキュレーターが、エイブル・アートを「障害者アート」としてだけではなく、「社会芸術運動、市民芸術運動」として捉えているということです。エイブル・アート・センター代表のチャン牧師によると、過去の戦争や革命において詩人が重要な役割を果たしたという、韓国の市民運動の歴史が影響しているといいます。詩のもつ力を信じ、共生を実践する。エイブル・アートの源流である「わたぼうし」のコンセプトに通じます。
 結果として、アートと社会のつながりを問う、日本ではできないようなユニークな取り組みや「病と人間の文化」といった、人間の存在の根幹にかかわる深い議論が交わされています。

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カタリコ vol.1 Spring 2010

発行:株式会社エルゴ 定価:952円+税

金魚2010年、一冊の雑誌が誕生しました。 『カタリコ』のHPには、次のように書かれています。

一人ひとりの「できること」。
そこには、小さくてもかけがえのない物語や、
未来の可能性が隠れているのかもしれません。
それらを大切に拾い集めていけば、
いずれ人と人の間に共感が生まれる。
そんな願いをこめてこの雑誌をつくりました。
創刊号の特集は「芸術とライフヒストリー」。 グループホームの寮母の仕事をしながら障害のある人々のポートレート写真を撮影 している姫崎由美さんや、口筆画家のクラウス・スパーニさんなどが紹介されています。 また、障害のある人の絵画作品をきっかけに、街とお店と人とをつなぐ取組みであるプラ イベート美術館や、障害のある人の新しい仕事のありかたを創造するエイブルアート・カン パニーの活動も取り上げられています。そして、色とりどりの花々が印象的な表紙はカン パニーアーティストの秦美紀子さんの作品。 ハンディキャップのある人、ハンディキャップのない人の間にあるボーダーをこえて、 私たちの”生活”、”生き方”をデザインしていく『カタリコ』。 ぜひご覧ください。


(『カタリコ』 帯より)
美術家 森村泰昌推薦
「美しい」ってなんだろう。美しい花、美しい人、美しい心、美しい絵。
世の中には、ホントにいろいろな「美しい」がある。
「キレイ」なことから心底悲しいことまで。
カタリコは、そんな広く深い美の領域に触れようとしている。
カタリコとともに、みんなで考えよう。
美しいってどんなことなの?

カタリコのHPはこちらです


7月10日から大阪でイベントが開催されます。

カタリコ×エイブルアートカンパニー コラボイベント「カタリコとハリポテ」

  • 期間:2010年7月10日(土)~8月1日(日) 
    OPEN 12:30~19:30(最終日17:00まで、会期中無休)
  • 会場:タピエスタイルギャラリー
       大阪市中央区南船場4-4-17 B1
       TEL 06-4963-7450 FAX 06-4963-7460

「ハリポテ」は、エイブルアート・カンパニーのアーティスト中村真由美さんの張子作品です。
「タピエスタイル」は、手づくりを中心にした雑貨がならぶ、10~30代の若い女性が客層のお店です。

今回は、その手づくりからうまれる表現にポイントをおいて、中村真由美さんの「ハリポテ」作品を展示販売します。 また、会期中には、展示会場いてワークショップも行います。

展示やワークショップについて、詳細は「タピエスタイル」HPをご覧下さい。

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金魚(2004,陶土)山野 将志

金魚
金魚(2004,陶土)山野 将志
植物や動物・昆虫などの生命と対話するように描く。森や空などの自然も全身で感じ取り、力強い線と豊かな色彩を重ねていく。お出かけすること、人とおしゃべりすること、ご飯を食べに行くこと…。すべてが自分を表現する大切なものとしてつながっている。2006年、オーストラリアに1ヶ月滞在し、アーティストとしての飛躍のときを体験した。
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春原 喜美江(社会福祉法人かりがね福祉会 風の工房所属アーティスト エイブルアート・カンパニー登録アーティスト)

春原 喜美江
(社会福祉法人かりがね福祉会 風の工房所属アーティスト エイブルアート・カンパニー登録アーティスト)

70歳のストイック


創作風景
2010年9月 A/Aギャラリー(アーツ千代田3331)での個展にて、姉夫婦とともに

 風の工房で絵を描くことを勧められた当初、彼女は「描く」ということに対して苦手意識がありました。風の工房には15年以上通っています。スタッフに勧められ描き始めた絵は、個展や展示会への出品が増えることで、描くことそれ自体が彼女の中で「仕事」として意識するようになり、今では制作に取り組むことへの「責任」を持っておられるような雰囲気が、モチーフに向かう姿勢や普段の会話から感じられます。現在までに約300点の作品を制作されています。
 普段は朗らかで気さくな人となりで、他のメンバーやスタッフからは「きみさん」と親しみを込めて呼ばれています。ですが、絵を描くときは線一本一本にこだわりをもち、アート担当の筆者を呼んでは、絵の構図はこれで良いのか、色は合っているか、画材が足りなくなっていると、おっしゃいます。下絵の段階で構図が気に入らなければ、今まで描き上げた線を全て消して書き直すというストイックとも取れる姿勢で制作に臨まれています。昨年、齢70歳を迎えられ、創作する姿勢はますます勢いが乗っています。むしろ、端からお姿を伺っていると今現在がいちばん脂が乗っている人ではないか、とすら思うことがあります。
 筆者の個人的な関係を話せば、春原さんの作品を地元のギャラリーで観て感動し、こんな作品を描ける人の制作をお手伝いできる仕事でれば幸せだなと思い、風の工房に興味を持ちました。現在、筆者は風の工房の現場リーダー・アート担当として彼女の創作にいちばん近い場所で働いています。近頃は、体調が不安定な日もあります。ですが、やはり描き上げた後の笑顔はいつも晴れやかです。

(武捨和貴/社会福祉法人かりがね福祉会 風の工房 現場リーダー・アート担当)

春原 喜美江(すのはら きみえ)
1940年生まれ。長野県在住。?1979年より「かりがね学園」(現ライフステージかりがね)に所属。
1988年より「風の工房」所属。




個展

2004年
パステルで描く思い ?春原喜美江展?(宮城県/感覚ミュージアム)

グループ展

2001年
「ドリーム・パワー:知的障がい者が描いたジョン・レノン」展(埼玉県/ジョン・レノンミュージアム)
2007年
「ART BOX 4 ~冒険に出かけよう~」展(埼玉県/工房集ギャラリー、東京都/モンベル町田)
林原国際芸術祭「人間を描く」展 (全国巡回)
2008年
「アンダンテ・アルデンテ・アルタ ?はじまるつながる障がい者アート?」展(長野県/長野県信濃美術館)
2008~
林原国際芸術祭「モナリザを描く」展(全国巡回)
2010年
A/A gallery 第4回企画展 春原 喜美江 展(東京都/A/Aギャラリー)

賞歴

2008年
林原国際芸術祭「モナリザを描く」展 宮下頼充賞

作品掲載

滋賀県社会福祉法人社会事業団企画部「アメニティ美術展」チラシ、看板デザイン

社会福祉法人かりがね福祉会 風の工房

風の工房は「つくりて」たちのアトリエです。そして居場所であり、この場に通うひとりひとりの歴史がある場所【ワークショップ】でもあります。アート活動は1995年より本格的に取り組み、今年で15年目を迎えました。「今、ここ」に至る時間と「これから」の将来が交差する「瞬間」に、この場所では現在進行形の作品が生まれます。迷いなく描かれる線や色。緩やかで緊張感のない表現の時間。心と身体が他人、周囲の状況や環境に影響を受けやすい人が生活する独特な緊張感がある空間。今を生きている人、それぞれの表現がある場所。形になることよりも、個々のワークショップを通じて自分の「やくわり」や「しごと」を持ち、それぞれの人生を「生きる」場所。しかし、ここでは瞬間瞬間に生まれる、言葉にすれば零れ落ちてしまうイメージと振動して何かを伝えようとする身体が重なり合い、閃く「何か」があります。その何か形にならない「かたち」を表現する場所、それが風の工房[Workshop of the WINDS]です。

エイブルアート・カンパニーのページから、春原さんの作品がご覧になれます。 (さらに…)

伊藤 樹里(アーティスト)

伊藤 樹里(アーティスト)

今日もお仕事、できましたよ!!



「JURIX WORKS」(1998~現在
自分や家族、知人たちの薬の殻)

 世の中に「仕事」は数多くあるけれど、伊藤樹里の仕事ほどユニークなものはない。
 一日4 回のラジオ体操、紅茶づくり、身近な体験に基づいた「ニュース」かき、薬のカラ集め、鉛筆の削りカス集め、 ラジオ深夜便を聞くこと・・・、つまり、好きなこと・やりたいことが彼女の仕事である。彼女の机の周辺にはそんな仕事の痕跡であふれている。それを素直に仕事とよんでいいのか、正直わからない。誰も発注していないのにつぎつぎ生まれてくるもの。でもみんな素敵なもの。どうやらこういうものを世間では「アート」と呼んでいるらしい。というわけで彼女は仕事人であると同時にアーティストである。

 書や語りなど、継続しておこなっている表現活動もある。「語り」では最近、奈良弁護士会と協働で「憲法絵本」を語っている。「憲法絵本」の活動は子どもから大人までを対象に人権や平和についてわかりやすく伝えるための取り組みである。堅いイメージのある憲法がベースではあるが、彼女がもともと持つ包容力を通して語られるからか、深く心の芯まで響いてくる。


「強」「雷」「島」「銀色」(墨、和紙)

 伊藤樹里のユニークな仕事の根底にあるのは誰かに対する「やさしさ」である。大好きな誰かのために仕事をして、喜んでもらいたい、という想い。争いごとのない、平和な世の中になってほしいと心から願って語る姿。そんな他者への想いが、多くの人の心に届く作品や舞台をつくりあげる。その証拠に、仕事が終われば必ず成果物を自分の好きな人のところまで持っていき、元気に業務報告をするのだ。
「今日もお仕事、できましたよ!!」

伊藤樹里さんの創作に関して、こちらから動画をご覧になれます。
映像の中で語られている「憲法絵本」は奈良弁護士会と協働で取り組んでいるプログラムです。
詳細はこちらをご覧ください。

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三井 啓吾(やまなみ工房所属、エイブルアート・カンパニー登録作家)

三井 啓吾(やまなみ工房所属、エイブルアート・カンパニー登録作家)

ぶれない人


「さかな」 1994年 クレパス、紙


「コーヒー」1997年 クレパス、紙


「まる」 2004年 クレパス、紙


「四角」 2003年 クレパス、紙


「やまなみ工房での制作風景」

3?4歳頃から絵を描きはじめ、暇さえあれば何かを描いていたという。
ペンを持ったとたん、紙のサイズではおさまらず、家中の壁や家具に描きはじめた。
以来自分の世界を描き続け、2,000枚を超える膨大な作品を生みだしている。
徒歩と電車を乗り継ぎ、草津市の自宅から隣の甲賀市にある「やまなみ工房」に毎日通う。
創作活動を主とする「ころぼっくる班」に所属し、お気に入りの定位置に座り、自分のペースを保ちながら創作の日々を過ごしている。

鳥、魚、電車、風船、傘、植物、動物、好きな食べ物など、身近にあるものを描く。
とても明快で記号的なモチーフを描くかと思うと、ひたすら自分の欲しい物を単語で羅列したり、ある時は何をモチーフにしているのかもわからないような表現が強烈な色合いと形で出現したりする。
即興的に見えるが、実は三井さんのなかではそれぞれ分類されており、ある種の「型」としてパターン化できる。
何を描いているのかは本人にしかわからないという。
鮮やかな色彩を嬉しそうに紡ぎだす姿が印象的である。
創作の合間には誰もいないアトリエを見回り、部屋の中の机や創作道具を仔細に観察する。
他の人の作品と自分の作品を見比べることもあるが、その割には三井さんのなかにある表現の「確固たる芯」はぶれることがない。

豪快に画面全体を塗りたくる。
いつまで続くのかと思わせながら、全体像はしっかりと頭の中にあり、唐突に周囲のスタッフに「終わり!」と作品の完成を告げる。
その表情には一点の雲りもない。
やまなみ工房の施設長の山下完和さんは、もともと内職が中心だった工房で、この三井さんの晴れ晴れとした表情を見た時に、三井さんが絵を描ける環境をつくろうと思ったという。
それが数々の名作を生み出し続けるアトリエ「ころぼっくる」のはじまりの物語である。

好きな食べ物を描いたり、座る椅子の位置を確認したり、机の感触をゆっくり確かめたり、噛み締めるようにご飯を食べたり、慈しむように自分の手やクレバスを眺めたり……。
どれも等しく大切なこと。
三井さんにとっては描くことと日々を過ごすことが隔たりなく共存している。
それはどの場面でも見せる満面の笑みによって私たちに伝わってくる。
やまなみ工房からの帰り道、お気に入りのお店を覗きながら早足で商店街を歩く姿は、ぶれない人がぶれない日常を生きる楽しさを教えてくれる。


この秋、三井啓吾さんのご実家で展覧会を開催します!

ろうきんグッドマネープロジェクト エイブル・アート近畿2010
ひと・アート・まち滋賀 明日へのチカラ

2010年10月15日(金)~31日(日)、草津本陣商店街周辺にて、近畿労働金庫とたんぽぽの家が2000年から取り組んでいるコミュニティ・アートプロジェクトを開催します。
メインは、三井啓吾さんのご実家(旧『フードショップみつい』)を舞台にした展覧会です。いまは閉店したフードショップの記憶と、三井さんの作品、そして日常のドキュメントのコラボレーションです。
日常空間において、描くことと生きることの境を問う実験的な展示になります。ぜひご来場ください。
詳細はこちらまで 


出展歴

グループ展

1991年
信楽陶芸祭「土は唄う」(滋賀)
土と色(京都/京都市美術館)
1992年
落穂寮との合同展(東京)
1993年
「太陽と風と土と」(滋賀/スーパーJOY)
やまなみ共同作業所作品展(滋賀/大津NHKギャラリー)
土と色(京都/京都市美術館)
あふれる希望の芸術展(滋賀/滋賀県立近代美術館)
自主企画展(滋賀)他
1994年
「やぁ」(東京)
やまなみ共同作業所・第二びわこ学園・かいぜ寮合同展「湖のシンフォニー」(滋賀)
企画展(神奈川/横浜呉服屋)
あふれる希望の芸術展(滋賀/滋賀県立近代美術館)
合同展(東京/ポレポレ座ビル)他
1995年
土と色(京都/京都市美術館)
あふれる希望の芸術展(滋賀/滋賀県立近代美術館) エイブル・アート・フェスティバル(大阪/ATC)
1996年
エイブル・アート96(大阪/大阪国際交流センター)
三井啓吾個展(東京/ギャラリー青羅)
「太陽と風と土と」(神奈川/ギャラリー)他
1997年
優しいかぜにつつまれて vol.1(京都/MDカフェ)
1998年
VIVIRA~命のはじまり(東京/ベネッセ・コミュニケーション・ギャラリー)
アートナウ98 ほとばしる表現力(兵庫/兵庫県立美術館)
1999年
このアートで元気になる エイブル・アート99(東京/東京都美術館)
アートスクランブル99(愛知)
ドリームアート99(神奈川)
エイブル・アート展(群馬)
ヘルスケアーアート東海(三重)
偶偶展(京都/法然院)
2 able persons (三重/30ギャラリー)
2001年
エイブル・アート近畿 ひと・アート・まち京都(京都/MDカフェ)
2002年
西から来た妖精たち(栃木/もうひとつの美術館)
三井啓吾展(奈良 /AXE OBJE)
2003年
ぼくの色・私のカタチ(三重/宮川書店、伊賀上野城ギャラリー)
2004年
NEW FACE(京都/アートスペース虹)
やまなみ工房の作家達(滋賀/布庵、奈良/CHIRORI)
ぼくの色・私のカタチ(東京/マダムブロッコリー)
2005年
結~you 湖国からの贈り物(東京/トリープ)
スーパーピュア(神奈川/ザ・イム)
滋賀カラー(滋賀/ボーダレスアートギャラリー NO-MA)
2006年
土と色(京都/京都市美術館)
ユートピアの世界へようこそ~何処にもない場所への行方(栃木/M-style store)
アートブリッジ(宮崎/喫茶ギャラリー創・ウインドファーム)
土と色(東京/世田谷美術館)
2007年
日本21世紀土偶と祭器 やまなみ工房と陶芸家の出会いの喜び(栃木/栃木笠間芸術センター)

作品掲載等

1991年
全国共同作業所連絡会「仲間のうた」カレンダー表紙(以降4年連続採用)
1992年
滋賀県スペシャルスポーツカーニバル ポスター
あふれる希望の芸術展 ポスター
1996年
猪木浩平著・本栖浩司編『ポピパの話』(燦葉出版)表紙
1998年
大同生命「社報大同」表紙
1999年
アートスクランブル ポスター
魂の芸術家たちの現在(群馬) ポスター
水川史生氏プロデュースカレンダー「FunnyDays」
2000年
朝日新聞全国版 挿画
甲賀郡人権センター「あすぱる」(1-5号)表紙
「月刊経団連」表紙
バリアフリーアート日本英国 2000年カレンダー
2001年
雑誌「わが人生日本点字図書館」本間和夫著 表紙
2004年
大阪赤十字病院機関紙「ビリーブ」表紙画(年4回)
バリアフリーアートサミットカレンダー
エイブル・アート近畿 ひと・アート・まち和歌山 ポスター
2005年
もうひとつの美術館パンフレット
バリアフリーアートカレンダー
2007年
城南電器工業所2007年カレンダー

賞歴

1994年
ワンダー・アート・コレクション入選
2000年
バリアフリーアートサミット銀賞
2001年
かんでんコラボアートコンテスト21入選
2007年
Art Challenged Project 2007(中日障害者芸術展)入選
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光島 貴之(アーティスト)

光島 貴之(アーティスト)

描き出される新たな世界

響きあう線 Ⅰ
響きあう線 Ⅰ

隙間のある音
隙間のある音

七歳の記憶
七歳の記憶

光島さんは、いつも、私たちを「世界」へと招き入れる。 そっと、あるいは、ぐいっと、新たな世界へと。

彼は主に製図用のラインテープとカッティングシートを用いて平面作品を制作する。
線と面で構成された画面はシンプルかつ大胆だ。
アクリル板に、スケッチブックに、ときに窓に、壁に、線は伸び、形は踊る。

モチーフは、彼が日々の生活で出会っているであろうもの。たとえば、「ほっぺた」、「缶コーヒーを飲む」、「むかしの木・いまの木」。

そして、音。
「響きあう線」、「隙間のある音」、「つまびく」。
それから、記憶。
「7歳の記憶」、「記憶の断面に触る」、「窓の記憶」。
「わがままな記憶を形にしてさかのぼる」なんていうものもあった。

そんな魅力的なタイトルのもと、彼の生活が、味わっている世界がそこに表される。
たとえば、「指先で街を歩く──京都からギャラリイK(東京・銀座)まで」には、彼が足で、指で、耳で、味わった街が息づいている。
私はエスカレーターや階段や交差点を目にし、驚き、頷く。
それらは、私が知っているそれらと同じであり、同時に、少し異なってもいる。
それにはむろん、彼が全盲であるということも大きく関与しているだろう。
世界を知覚するその方法が、もしかしたら、晴眼者と少し異なるのかもしれないとも思う。
けれども、同じだとも思う。異なる身体を持っているとしても、この世界に生きている、という意味では、彼も私も同じである、と。
私たちはこの世界でいろいろなことに出会い、惹かれ、ときに惑わされ、迷い、そうやって生きていく。
ぐるぐると画面いっぱいにひろがる渦巻きや幾重にも重ねられた線は、その記録のように思える。

光島さんは、公開制作も多く行っている。
全盲の彼は、作品の大きさによっては全体像が掴みづらいと言う。
そのため、サポーターと、観客と、ときに言葉で、ときに絵で、対話し、描き進めていく。
対話は、いまここに、新たな世界を作り出す。
それは、彼だけの世界でもなく、私だけの世界でもない。
それらが交差したところに現れる、新たな世界なのだと思う。

(井尻貴子/財団法人たんぽぽの家)

光島 貴之(みつしま たかゆき)
光島 貴之1954年生まれ。京都府在住。
美術家・鍼灸師。 10歳の頃に失明する。80年大谷大学哲学科卒業。92年から粘土による造形活動を始め、95年よりレトラライン(製図用テープ)とカッティングシートを用いる独自のスタイルで「触る絵画」の制作を始める。以後、埼玉県立美術館やサンディエゴ美術館など国内外での展覧会・個展、ワークショップ講師など多数行っている。2010年7月「視力0.01」展(大東市立生涯学習センターアクロス)出展。10月からは「いま、バリアとはなにか」アートプロジェクト成果展示(せんだいメディアテーク)に参加予定。
ウェブサイト「光島ギャラリー 触覚で世界を描きだす
ブログ「窓を少し開けて」(近況は、ブログでご確認ください)


「光島ギャラリー 触覚で世界を描き出す」より

10歳までの風景は、自分を中心に半径1メートルだった。
それ以後、太陽の光はまぶしそうな暖かさだけになった。
インバーターではない蛍光灯が付くときは、パチパチという音がする。
朝は、匂いと賑わいでやってくる。
携帯でしゃべりながら街を歩く女たち、男たち。
彼らは、僕にとって透明人間ではなくなる。

触ることでもののかたちが分かる。
聞くことで、街の広がりが分かる。

視線によって何かを表現することはできないが、
触ることで人の気持ちを楽にしたり、体を軽くすることができる。

触覚と音、対物知覚(天井の低いところに入ると圧迫感を感じたりする感覚)による
風景を持つようになって、もう40年以上になる。
触覚による時空間認識のおもしろさを少しでも味わってほしい。

(光島貴之)


ポストカード 「光島貴之 collection Vol.3」販売中です。
盛り上がり印刷の手法を使い、原画の雰囲気を感じられるよう工夫して作られた、見て、触って、楽しめるポストカードです ご購入・お問い合わせは下記まで。
ミュージアム・アクセス・ビュー「光島貴之ポストカード販売コーナー(さらに…)

大倉 史子(アーティスト)

大倉 史子(アーティスト)
大倉さんは、サクランボや洋服などその時々のお気に入りを画面にびっしりと描きこんでいく。そこに並ぶモチーフのチョイスからは、「いかにも若い女の子」な日常が浮かび上がる。 赤やピンクを中心に明るい色彩で描かれるとっても可愛らしいモノたちの中に、時々顔をだすスカルなどのハードな印象の黒。この甘辛のミックス感覚にも、彼女のセンスは光っている。 大倉さんの作品には、ただ可愛いだけではない要素が他にもある。 たとえば、多くの画面に残されたいびつな余白による、余韻。執拗な繰り返しから伝わる、主張するエネルギーの強さなどである。 そんな、危ういバランスに共感する人が多いからなのか、大倉さんの作品は、昨年からファッションデザイナーの岡本順さんによりテキスタルとして展開され、女の子たちの人気を集めている。

大倉 史子(おおくら ふみこ)
伊藤愛子 1984年生まれ。埼玉県在住。
2003年より「川口太陽の家・工房集」に所属。 創作活動がもともと好きで、高校卒業後、創作が継続できる工房を自ら選び、現在にいたる。工房では、あちこちに移動しながら、時には外で描いている。所属して2年ほどは、人物や人名を描きつづけていたが、3年目から〈サクランボ〉を描くようになり、現在は〈アメリカンチェリー〉ばかりを描いている。時折、日常生活のなかで見聞したモチーフや、好きなアニメーションのモチーフが表現される。



よろこびのアメリカンチェリー

美術家・工房集アートディレクター 中津川 浩章

 大倉史子の工房集で制作している時間は主にアメリカンチェリーなどの果物や食べ物を繰り返し描き、画面をびっしりと埋めていくことに費やされていく。その作品は何百枚と工房集に保管されていて人に見られるのを待っています。
 画面の中だけの反復ではなく、画面そのものも反復していくスケールの大きさとオブセッションがそこには存在しています。同じ作業を反復することは、時間の内側に入っていくことができたり、反復することで落ち着いたりするためか、とくに障害をもった仲間に多い表現スタイルです。
 しかし、大倉史子の画面をよく見てみると、一枚一枚空間が微妙に異なっていて、書き残しの余白がとても美しいのです。画面の中でアメリカンチェリーと余白が、ほのぼのしていながらぴったりとはまり、個性的なレイアウトとして成立しています。一見、アバウトなように見える画面構成は、実は緻密に計算されてできあがったのではないかと感じてしまうほどです。
 また、アメリカンチェリーは同じように反復されているように見えますが、ヘタが一本のものと二本のものがあったり、ひとつひとつ色の重ねが微妙に異なっていたり、また突然文字が挿入されていたりと、実は単なる反復ではなく、変化に富んだ世界を作り出しています。
 だからこそ大倉史子の画面はおおらかで、拡がりを持ち、絵画として魅力的なのでしょう。
 さらに家に帰ると彼女は昼間お世話になっている大好きな人たちの顔や名前、その日のファッションまで、これも何度も繰り返し描き続けます。
 その数もまた膨大なものす。大好きなその人を想って描くこと、その想いの深さに気がつくと、しばし愕然とします。アメリカンチェリーや食べ物そして大好きな人達の姿やファッション、それら彼女の興味のあるものすべてを描き出す時、ひとりの人間のもつ広くて深い、感情を伴った世界が現前します。
 そして、それらを表現していく時、彼女は生きる喜びを感じていることでしょう、その感情が画面からはっきりと伝わってきます。そんな生きる喜びを、彼女の作品を見ることで、多くの人たちと共有できたらどんなにか素晴らしいことでしょう。

(工房集コレクション 大倉 史子 作品集 前書きより)

大倉史子作品集(¥1,000)のご購入・お問い合わせは下記まで。
「工房集」
住所:〒333-0831 埼玉県川口市木曽呂1445
電話:048-290-7355 FAX:048-290-7356
E-mail:kobo-shu@marble.ocn.ne.jp
URL:http://www.minuma-hukushi.com/


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伊藤 愛子(パフォーマー)×佐久間 新(舞踊家)

伊藤 愛子(パフォーマー)×佐久間 新(舞踊家)
ジャワ舞踊家である佐久間と伊藤との出会いは2004年に遡る。インドネシアの楽器、ガムランを通した障害のある人たちとの舞台「さあトーマス」である。そのなかでも佐久間は参加者の一人だった伊藤の全身を使った表現に惹かれ、1対1のアートリンクというフィールドでのコラボレーションが実現した。当初はお互いの家庭を往復しながら、生活のリズムを実感し、関係を深めていった。なにげない会話やしぐさから無限の表現が生まれ、観客を巻き込む。以来、二人のつくる新しいダンスは各地で公演を重ね、表現の可能性を追求している。

伊藤 愛子(いとう あいこ)
伊藤愛子1980年生まれ、奈良県在住。2000 年よりたんぽぽの家で活動をはじめる。まわりでおこるできごとをこころでとらえ、身体をとおして表現があふれでる。楽しいことがおこるとからだ全体で踊りだし、つらいことがおこるとほんとうに悲しそうに泣きだしてしまう。持ち前の好奇心から、書、語り、手織りなど、活動は多岐にわたるが、求める表現にたいしてはすべて真剣である。ガムランプロジェクトへの参加をきっかけに、パフォーマーとしての表現の可能性をひろげている。

佐久間 新(さくま しん)
佐久間新1988年、ガムランを始める。ジョグジャカルタの舞踊家ベン・スハルト氏に出会い、ジャワ舞踊を志す。1995年から4年間、インドネシア芸術大学に留学し、王宮など数多くの舞台に出演する。帰国後は、古典作品以外にも、野村誠、三輪眞弘、鈴木昭男らの音楽のためのダンスを発表する。04年から、たんぽぽの家(障害者授産施設)と共同して、作品を発表している。障害を持つパフォーマーである伊藤愛子とは、長時間に及ぶ即興パーフォマンスや映像作品を発表している。05年には野外で即興するI-Picnicを結成し、インドネシア、日本、オーストリア、ハンガリーで即興を行い、DVDを制作している。09年からは大阪ピクニック・プロジェクトを開始し、一般の参加者とともに、街とからだの関わりの中に、ダンスや表現の新しい可能性を追求している。07、09年にコントラステ音楽祭(オーストリア)、08年にマルガサリ桃太郎公演ツアー(インドネシア)、ソロエスニック音楽祭(インドネシア)、大垣ビエンナーレ(岐阜)に出演する。09年10月には中之島国際音楽祭で、音とダンスの境界を探る作品「SANZUI」を発表している。



あたらしいダンスの誕生

佐久間 新

 2004年秋、大阪府豊能郡の山里にあるガムランのスタジオスペース天ではじめて愛ちゃんと出会った。お互いに戸惑いながらも、なんだか波長の合う予感がした。僕が口の下に手を添えて、ふうっと風を送ると、彼女も同じ格好で、ふうっと風を送り返してくれた。二人の間に穏やかな空気が漂っていて、それをお互いになぜることができるようだった。その日の日記には、しゃべるように踊る女の子と出会った、と書いてある。2005年に上演した「さあトーマス」に向けての練習が始まった時のことである。
 大阪の築港赤レンガ倉庫で行われた「さあトーマス」の初演の時、出演者も観客も何が起こるか分からない混乱とカオスの中で、愛ちゃんが不意に背後から僕のかぶっていた赤い帽子をスポッと抜き取った。不安やらホコリやらが舞い上がる中、一瞬、二人だけのダンスシーンが現れた。その後、「さあトーマス」は、大阪、東京、徳島、滋賀、奈良で7回の公演が行われた。公演を重ねる内に、愛ちゃんと二人でじっくり踊りたい、という気持ちが膨らんでいった。そんな折りに、たんぽぽの家の岡部太郎さんから、今回の企画に出ないかと誘われた。
 話が決まった後、映像担当の山田千愛さんも一緒に、奈良公園へお弁当を持ってピクニックに行ったり、伊藤家へおじゃまして、そうめんをごちそうになったりした。そして、ようやく二人のダンスワークを開始した。ダンスワークは、特に取り決めをせず、僕と愛ちゃんの気の向くままにダンスをすることにしたが、いつも大体50分から1時間くらい途切れることなく続いた。
 ダンスワークの2回目の時に、山田さんがスクリーンを使うことを提案してくれた。3回目以降は、スクリーンを張り、そこへ光を投射する前で、ダンスした。その次の回は、二人の影の映像がスクリーンに投影され、その前でダンスした。そして、その次の回は、二人の僕と二人の愛ちゃんの影がスクリーンに投影され、その前でダンスした。普段でも、鏡ではなく、影を見ながら踊るのは、自分でも他人でもない何者かと踊るようで好きだったが、過去の影と踊るのは不思議な感じだった。

 僕たちのダンスワークは、気持ちをリラックスさせて、周りの人や物、音、風、光、影などをしっかりと感じて、身体のおもむくままに動くことを大切にしている。このおもむくままに動く、というのが意外に、というか実に難しい。木が風にそよぐように、クラゲが海に漂うように、鯉が悠然と池の中を回遊するように、白鷺が杉の梢で佇むように、馬が鼻に風を受けて走り出すように、靄が谷にたちこめるように、月が山の端から上り始めるように、そんな風に動けたらどんなにいいだろう。

 たんぽぽの家へやってくると、愛ちゃんが僕を発見して、走ってやってくる。満面の笑みで、気持ちが迫ってくる。この感じがすごくいいのだ。気持ちが先行して、それに手や足が付いてくる感じ。ビデオカメラの前で、コーヒーを飲んで下さいと言われれば、多く人はコーヒーカップにどうやって手を伸ばそうか、戸惑うだろう。自然に振る舞えないし、コーヒーを飲みたいという気持ちも湧いてこないだろう。でも、本当に喉がカラカラに渇いていれば、水滴の付いた冷たい麦茶のグラスに誰でも自然に手が伸びるだろう。自分の中に湧き上がる感情に耳をすまし、わずかに動きはじめるからだをそっと後押しする、そんな風に動けたらどんなにいいだろう。
 最初の出会い以来、口の下に手を添えて風を送るダンスは、愛ちゃんと僕のあいさつのようになっていたが、ダンスワークが進む内に、愛ちゃんはあたらしいダンスが作りたい、と言い出した。二人で、ふうっ、ふうっ、ふうっとたくさんの風を吹き出して、その風をいっぱい漂わせよう。漂う風を震わせて、少しずつ揺すって波にして、それをかき混ぜて大きな渦を作ろう。大きな渦を作ったら、周りのみんなを巻き込むようなもっと大きな渦を作ろう。愛ちゃんの気持ちが飛んでいって世界を満たせば、どんなにいいだろう。

 即興のダンスを踊る時、僕は周りの環境や他者の動きを鋭敏に感知し、次の展開をめまぐるしく考える。

 没入する
 そこから抜け出し、上から俯瞰する
 緊張をひらりとかわす
 他者と共振し、大きな渦を作る
 渦をスパッと断ち切る
 そんな自由自在な存在になれれば、最高だろう。

ろうきんグッドマネープロジェクト エイブル・アート近畿2007
<ひと・アート・まち京都>でのアートリンクプロジェクトによせて

(さらに…)

たんぽぽ通信Vol.86

01  2011年3月11日14時46分。個人的な、あまりに個人的なことから。

このたびの東日本大震災により被害を受けられましたみなさまに、心よりお見舞い申し上げます。
さて、3月11日14時46分、みなさんはどこでどんなふうに過ごしていましたか。私はそのとき、エイブルアート・カンパニーの東京事務局(東京都千代田区)で、ちょうど商談の真っ最中でした。はじめはぐらぐらと揺れるなか、「揺れはまもなくおさまるだろう」と文字通り高をくくっていました。しかし、次第に揺れは大きくなり、周辺のガラスや照明が揺れはじめ、「これは大きい!」と身の危険を感じ、ガラスや天井の吊ものから離れ、揺れが一瞬おさまったときに建物の外に飛び出し、公園に躍りでました。外神田の公園を取り囲む小さなビルというビルは大きく音をたてて揺れており、また散歩中の犬が興奮してかけだし、猫が何匹も連なって猛ダッシュをしているのをみて、嫌な、本当に嫌な予感がよぎったのです。揺れはしばらく続きました。立っていられないほどでした。数分後、事務局が入るアートセンターから沢山の人たちが駆け出してきました。まもなくして同僚が「震源地は宮城県沖!」といいました。私はその場で、頭をかかえてしゃがみこんでしまいました。

そう、嫌な予感は的中したのです。同時に、私をものすごく大きな恐怖が襲いました。なぜなら、私の本籍は宮城県であり、両親や3人の姉兄とその家族、そして多くの親類や友人が宮城県で生活しているのですから。「とうとう宮城県沖地震が来てしまった」。しかし、私の予感は一部しかあたりませんでした。その後、事務所に避難してきた帰宅難民の方たちと、インターネットを通じNHKのニュースをかじりつくようにみながら、これが単なる宮城県沖地震ではなく、未曾有の大災害になっているという真実を知る、苦しい夜のはじまりを体験したのでした。
翌日もすべての仕事はキャンセルになり、私は一日東京にとどまりながら、どうにかして宮城へ北上できないかさまざまな移動手段を探りました。しかし結果的に、今の私にできることはあまりないと自分をおさえ、こらえ、西に向けて移動をはじめました。自分の無力さをこれほど感じたことはありませんでした。
両親や姉兄の安否はまもなくして間接的にわかったものの、直接、電話で連絡がとれるまでに、一週間ほどかかりました。その日々のなんと長くつらいものだったか。闇のなかにいるかのような数日、みなさんの温かいことばにも耳を傾けられず、顔もあげられないような日々でした。
その後、私は、たんぽぽの家のはからいで、3月21日から10日間、民間バスが開通した初日に高速バスで宮城に戻りました。ライフラインが復旧していないなか、また度重なる大きな余震のなか、家族や親類や友人の後方支援に入りながら、「2011年3月11日 14時46分」とその直後のさまざまな出来事を知りました。学校にいた小学生の話、障害のある人と作業所やグループホームの話、特別支援学校の教員の話、避難所指定になった小学校の校長先生の話、マンションが傾き避難所にいった82歳の方の話、公団アパートで一人暮らしをしていた92歳の方の話、NTT東日本のサラリーマンの話、仙台フィルの楽団員の話、宮城県南部の丸森町から仙台に避難してきた人の話、松島市の温泉旅館でお客さんの誘導をしていた人の話、福島県に親戚をもっている人の話などなどです。私は被災地の状況に触れてはじめて、ようやく自分という存在のたてなおしをすることができたと思います。また、その後も、4月、5月、6月と合計4回、被災地に入り、次第に仕事での関係者のところも訪問し、さらに多くの人の被災の様子や、日々変化する被災地の様子を目の当たりにしてきました。
これほどまでに、奈良と宮城が物理的に近いと思ったことはありませんでした。被災地でも、あまりにはやく、あたたかな兵庫県を中心とする関西のボランティア活動への謝辞をたびたびきくことができました。しかし、最近では、東と西を行き来しながら、人間が被災地の感覚を共有し、持続的にそれを想うことの困難さを憂うことも少なくありません。東では、日常生活のあらゆる部分に震災の影響が影をおとしていますが、東海道で西に移動するほど、そうした感じはどんどんと薄れてしまっているからです。しかし、たんぽぽの家は今でも別です。メンバーやそのご家族やスタッフやボランティアの、あたたかで配慮のある気遣いの数々。やはり、たんぽぽの家が、たんぽぽの家たる所以を深く深く実感し、改めてみなさんに感謝せずにはいられません。
東北を飛び出して、関西のたんぽぽの家で私が学んだことに次のふたつのことが挙げられます。ひとつは、今自分たちが必要としていることを声にだして実現するという力です。それは、大きなものなどには頼らない、自律した市民意識とでもいえるものでしょうか。もうひとつは、「それ、おもろいやん。」と新しいことやアイディアに素直に反応し、取り入れていく感覚です。私にとって故郷・東北は私の誇りですが、逆に関西の地でもまれることで、あの土地の様相を客観的に見ることができる眼も育んでいただきました。
東北の人は、強いけれど’こわばり’があります。新しいことにとても怖がりなのです。そして、東北の人は、深いけれど視野を広くもつのが苦手です。自分がもっている価値や能力を、他者と共有し新しい未来に向かう手立てを組み立てていくことが苦手なのです。震災直後は、美しい東北の気質や魂が世界から称賛を浴びました。しかしこれからが正念場。非常な状態だからこそ、こわばりやこだわりを(もちつつも)脱し、今、新しい世界から新しい人たちがもたらすアイディアや支援にも耳を傾けて、新しいまちづくりに取り組むことが必要だと思っています。
この3カ月、足を運びながら、個人として、またたんぽぽの家というNPOのスタッフとしてやるべきことを探ってきました。そして、たんぽぽの家で学んだ14年間のなかで得たことを、ようやく東北で粘り強く実践する機会がきたと感じています。このことを思考し、こうしてことばにするのに、私は個人として3か月も要してしまいました。しかし、ここにようやく、みなさんの温かい声や励ましに御礼を述べさせていただき、これを区切りに、NPOのスタッフとしての自己をたてなおし、今後はしっかりと被災地の支援活動にも歩んでいきたいと思います。
個人的な、あまりにも個人的なこのレポートを区切りに。以下、全体の支援活動のご案内です。

たんぽぽの家&ネットワークによる 東日本大震災支援活動がはじまります。
みなさんのご参加とご 支援をよろしくお願いします。

私たちは、東日本大震災で被災した人たちを応援するために「笑ってプロジェクト」を実施します。これまで取り組んできた市民活動をベースに、被災された方々の’生きる力の取り戻し’を支えるためのプログラムを実施します。共通して支援の向かうまなざしは、’遠いところ、弱いところ、小さいところ’です。支援が届きにくいところや、特別なニーズがある人たちへの支援を大切に活動していきます。活動は大きく3つです。
障害のある人のアートのちからで、被災地の障害のある人の"しごと"の復興を支援する「タイヨウプロジェクト」、障害のある人の言葉(=詩)のちからで、被災した人たちの心のケアをめざす「言葉のちからプロジェクト」、被災地の障害のある子どものあそびの支援活動を行う「あそびの時間プロジェクト」です。このほか、’震災とケア’にかかわる研究、各種チャリティイベントなどを実施します。また、これらの活動は、財団法人たんぽぽの家/社会福祉法人わたぼうしの会/奈良たんぽぽの会と、支援活動のミッションに共感する国内外のNPOが協働するものです。これから長くつづく協働のために、みなさんの活動へのご参加、ご支援をどうぞよろしくお願い致します。
*詳しくは、別紙のチラシ、または、たんぽぽの家ホームページ(http://popo.or.jp)をご覧ください。
たんぽぽの家スタッフ/エイブルアート・カンパニー本部・関西事務局 柴崎由美子 

02  仙台の関口怜子さんを囲んで、私たちの暮らしや社会のことを考えてみませんか?
たんぽぽの家・東日本大震災支援プログラム関連特別講演会

sekiguchi1.jpg5月30日、仙台市で、子どもたちを大事と考える「創造空間・Be I」を主宰されている、関口怜子さんから、震災から今の話を聴かせていただきました。オーガンジーの軽やかな生地で、明るい優しさの感じられる薄い黄色と黄緑色の服、その日、関口さんが着ていらした服装そのままの、あったかい陽だまりのような人でした。
震災の悲惨さ、深刻な状況…体験した人の言葉は、テレビで見る映像より実感として伝わり、こころが硬くなりました…にもかかわらず、それと同時に、関口さんの話しに、笑ってしまうことも…。泣き笑いしながら、ああ、日向ぼっこしているようだ…と、私は感じてしまいました。「震災」を話されているのに…です。
関口さんは、宮澤賢治の『雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ』の一節「…行って…」 が大事なんだと話され「現地に行って、見てほしい、感じてほしい。そして、そこで買って、食べて、お金を使って『仕事』を作ってください。今、行かないと、お店が潰れちゃう。 『行って』ください…」と、そこに住んで、そこで生活している人でないと語れない事を聴かせてもらいました。
関口さんは28歳でおつれあいを亡くされ、4歳と生後間もない娘さんをかかえながら、宮城教育大に入られ、ビーアイを主宰されるまでに至ったそうです。
そのビーアイには「Be I宣言」というのがあります。「第1条 自分になるために人は生まれてきた」には、からだ中がしびれてしまう衝撃でした。
私は、20年ほど前、交通事故にあい、ボーダーラインではありますが「高次脳機能障害」があります。保育士をしていたのですが、1日の仕事にからだが持たず、辞めざるをえませんでした。今も連日の外出は無理で、寝込んでしまうことも多々です。記憶力がなく、精神的な事にも、心身とも、かなりひどい状態にもなります。自分はなぜ生きているのか、問い続ける毎日がそれから続いています。
そんな私には、この「宣言」…。震災の事を聴きに行って、私のずっとかかえている重い想いに響くような、そんな人に出会うとは思いもしませんでした。関口さんにお会いしたからといって、その答えが見つかるわけではありません。でも、私は、関口さんに引き寄せられてしまいました。6月末、仙台に「行って」きます。そして、関口さんにもう一度「会って」きます。
関口さんは「震災をはずみときっかけにして、いい感じの人生にしたい」と話されたのですが、私も、「いい感じの人生」にしていきたいと、思えるようになりたいし、そう生きたい…。貧乏な学生時代、たった一度だけ一人で旅した東北の、震災の事を知りたい、何ができるのかを知りたいと、たんぽぽの家に「行って」の出会いに、ただただ感謝しています。
河原和子(子ども情報研究センター・ボランティアスタッフ)

03 たんぽぽの家アートセンターHANAギャラリー
中井幸子個展「明日みる風景」開催しました。

nakai1.jpg昨年度いっぱいで退職された、元たんぽぽの家アートアドバイザーの中井幸子さんの個展を開催しました。「生きているということは、風景とともにあることです」という言葉とともに、誰の心にもある風景を描き続けている中井さん。6月19日には本人が来場し、アーティストトークを開催しました。身近な友人の死がきっかけで生まれた「道」というテーマ。人間は死んでしまったらどこに行くのかという、素朴で根源的な問いが創作の源にあったそうです。「自分にとって描くことは、音楽を聴いたり本を読むのと同じこと」という中井さん。最新作は霞の向こうにあるかすかな風景です。期間中には展示作品やポストカードも販売しました。作家の新しい人生とともにこれからの新しい世界のあり方を予感させるような作品の数々でした。(岡部)

04 障害者アート マネジメントセミナー

art-ka.jpg6月25日(土)?26日(日)に、昨年に引き続き「アート化セミナー」を埼玉で開催しました(主催:厚生労働省・埼玉県・さいたま市 企画:財団法人たんぽぽの家)。テーマは「障害者アートのマネジメント」です。今回のセミナーは、障害のある人の環境を整え社会にアウトプットしていく意義やその手法などを事例紹介やワークショップを交えながら考える、というもので、来て頂いた人に新しい視点で何か取組めないか、問題や課題の解決のきっかけにして頂くことを目的に行いました。
たんぽぽの家からも藤井克英や岡部太郎、清水啓一も講師として参加し、中井幸子さんからも「作品を生み出す環境」をテーマに発表して頂きました。他にも工房しょうぶ、工房集、など様々にアート活動を展開する施設からも講師をまねき、事例報告等が行われました。
参加者の関心も高くセミナー後に参加者どうしで意見交換をする姿もみられ、とても熱のこもったセミナーになりました。(吉永)

05 ホームだより

home.jpg
Happy Wedding!! ホームスタッフの松尾有美さんが結婚されました。5月8日 多くの人に見守られながら、永遠の愛の誓いを述べられました。旦那様は、すごく男前でやさしそうな方でした。たんぽぽの仕事と家庭とを両立するのは大変だと思いますが、持ち前の松尾さんの明るさで、これからも頑張ってほしいと思います。メンバーもスタッフも、あたたかく見守ってくださいね。(川村)

06 たんぽぽ人物図鑑

財団法人たんぽぽの家 阿部(あべ) こずえabe.jpg
京都から通ってる阿部です。
まだHANAがなかった頃にちょこちょこと働いていました。
知っている顔もありますが、知らない顔もたくさん!
知らないことや驚く出来事もたくさんで、毎日が新鮮で楽しんでいます。
よろしくお願いします!

財団法人たんぽぽの家 大久保(おおくぼ) 明子(めいこ)okubo.jpg
こんにちは、大久保明子です。私は昨年、初めてたんぽぽの家を訪れたとき、言葉にならない気持ちでいっぱいになりました。そして変わらず、今もその感覚があります。言葉にならない気持ちの正体とは…?? じんわりと、探っていきたいと思います。
(左が大久保さん)  

07 第36回わたぼうし音楽祭への道 Vol.4

気が向いたときに書くことにした。
わたぼうしと出会って34年、たくさんの勇気や元気をもらってきた。「たかが歌、されど歌」30数年の関わりのなかで今さらながらに思うことである。
5月14(土)20年ぶりに鹿児島で「わたぼうしコンサート」が開催された。かつては県庁の職員らが中心となって実行委員会が作られ実施していたが、今回は社会福祉法人白鳩会という障害のある人たちの福祉施設から地域交流を目的にお呼びがかかった。このコンサート、これまではかなり名の知れた芸能人が呼ばれている。小柳ルミ子、コロッケ、キムヨンジャ・・・そうそうたる顔触れのなかに名を連ねたことは喜んでいいことだろう。
名の知れた人たちのコンサート違う、わたぼうしらしさをどう出そうかと悩んだ。そんなとき、かつて「生命・・・」という詩でボクらに「生きる」ということを教えてくれたわたぼうしの詩人、崎田国和さんのことを思い出した。彼は、鹿児島・南九州病院で進行性筋ジストロフィーという難病と闘っている。進行性筋ジストロフィーは、全身の筋肉が委縮していく現代の医学をもってしても解決できない難病中の難病だ。若くして亡くなる人も多い。
崎田さんへの連絡は勇気がいった。生きてるだろうか、まだ詩を書いてるだろうか・・・。期待より大きな不安を抱えながら南九州病院のホームページにメールを出してみた。数日後、崎田さんから手紙が届いた。その数日後電話もかかってきた。言葉では言い表せない感動だった。生きている、しっかり生きている・・・その上、コンサートにも参加すると言ってくれた。コンサート当日、彼は2時間車に揺られながら、ある意味、命がけで駆けつけてくれた。
東日本大震災から2ヵ月余り、彼は自分の生命のこと以上に、被災した人々を思っていた。亡くなった人のこと、今もなお避難所での生活を強いられている人のこと、震災がきっかけで厳しい状況におかれている人のこと。彼だからこそ、筋ジスという難病と闘いつづけている崎田国和の言葉だからこそ重みがあった。まさに生命の重みだった。
震災後、ボクのところにこうした伝えるべきものをもったわたぼうしの詩人たちから便りやメールが数多く寄せられた。「自分にもできることはあるのだろうか」「自分も何かしたい」・・・障害があろうがなかろうがいてもたってもいられない気持ちはみんないっしょなのだ。ボクたちは、こうした思いに後押しされるかのように「言葉のちから」プロジェクトに取り組むことにした。障害のある人たちから希望のメッセージを寄せてもらい詩集にする。そして、「何かしたい」という思いをもつ人たちに2冊1セットで購入してもらい、一冊は自分もう一冊を被災した人へ贈る。このプロジェクトが、生命のつながりを育み、被災した人たちの生きる勇気や希望につながることを願っている。
崎田さんの生命のメッセージでボクらが勇気をもらったように・・・。
わたぼうし事務局 酒井靖

08 おすすめ商品

「絵本ぐるぐる」osusume2.jpg
和歌山市美園町5-6-12(美園(みその)商店街内)
TEL:073-425-1113
営業時間 11:00?18:30
定休日 第1第3土曜/第2第4水曜/日曜祝日
http://ehonguruguru.ikora.tv/
絵本を読みながらくつろげる、福祉施設の商品がたくさん集まった「絵本ぐるぐる」。4月にリニューアルオープンし、ますます多様な展開を繰り広げています。そしてこの春より、たんぽぽの家の「happyおでかけバード」「おしゃれバード」「おしゃれにゃん」を販売していただいてます。すっかり馴染んでいるのが、写真からもうかがえますね!
"ぐるぐる"を切り盛りしている児玉さんのセンスが存分にいかされた空間は、居心地のよさについつい長居してしまいますよ◎空間を彩っている珍しい模様の布は、同じ商店街にある洋裁店で手に入れたものだとか。
ワインを楽しむ会や韓国語講座など、楽しい集まりも日々催されています。個人的に持ち込み中の企画は・・「マンスリーよしもと読書会」です。まだ100円だった頃のマンスリーよしもとを肴に、ぽそぽそくくくと笑い合う小さな会を、児玉さんと水面下で計画中です・・♪
さて、そんな児玉さんよりコメントをいただきました→「商店街を2階から見下ろす景色もなかなかいいものですよ。ぜひ遊びに来て下さいね」
さぁ、遠足気分で?和歌山の絵本ぐるぐるへ行きましょう。(島)

絵本が読める雑貨屋+カフェ 

09 「奈良のケア2011 ひとめでわかる医療・福祉情報」発行のお知らせ

「奈良のケア」は2008年から支え合いの地域づくりをめざして毎年発行し、広告料をもとに無料で配布している医療と福祉の情報誌です。今年は奈良県からの補助金を得て5万部を発行しました。専門職の人からも好評をいただき、介護が必要な人にも家族や支援者の人にも、「困ったときの一冊」として役立っています。
今年の特集のテーマは「つながりの中の終のすみか」です。無縁社会と言われている今、安心して地域の中で暮らしていくために私たちにできることや、趣味の活動や支え合いの活動を行っているコミュニティを紹介。子どもからお年寄りまで楽しく食べられる料理レシピなど、おなじみの記事も掲載しています。「ひとめでわかる医療・福祉情報」のページは、より見やすくなり、相談先や調べたいことがすぐわかるようになっています。「私のまちのお役立ち情報」では、県内の相談窓口や介護サービス・障害者対象のサービスを行う事業所のリストが更新されました。
一家に一冊、あると安心の情報誌です。ご希望の方はお近くの地域包括支援センターまでお問い合わせください。たんぽぽの家からも発送しております(送料はご負担ください)。(佐賀)

10 わたぼうし語り部塾発表会

6月17日から19日の2泊3日で、「わたぼうし語り部塾」の合宿を行ないました。本来であれば、4月の実施予定でしたが、東日本大震災のため岩手のメンバーが参加できないということから、6月の実施となりました。
年3回の合宿と4回の通信講座で行われる「わたぼうし語り部塾」には、広島や滋賀、そして岩手からも参加者がやってきます。3回目となる今回は、1年間の成果を披露する発表会も兼ねており、塾生にとってはドキドキの合宿。前日にリハーサルもおこない、発表会当日の18日。あいにくの雨模様のなか、奈良市音声館に向かいました。塾生のほか、たんぽぽの家の語りプログラムに参加するメンバー、元・語り部塾塾生も加わり、7名の語り部たちがそろいました。
いざ本番がスタート。緊張のなかにも、自信と誇りを感じるような表情で語る語り部たち。その堂々とした姿にお客さんも惜しみない拍手を送ってくれました。
そして、この語り部たちを応援すべく、ゲストにやってきてくれたのは、民謡・河内音頭「枚岡会」のみなさん。一足早い夏まつりがやってきたようになった会場は、いつしか踊りの輪ができ、みんなの笑顔が咲きました。自らの語りを仲間とともに磨いてきた塾生たち。もしかしたら、新たな仲間も増えるかも?これからも、自分のペースを大切に、楽しみながら語りを一緒に磨いていきましょう。(竹谷)

11 Information

アツアツTシャツ展
会期:2011年7月16日(土)~8月10日(水) 11時~17時日・月曜は休館 *8月7日(日)はオープン
会場:たんぽぽの家アートセンターHANAギャラリー
入場無料

エイブルアート展 ?つながるアート?
会期:2011年7月30日(土)?8月8日(月) 10時?19時(火曜日休館)
会場:可児市文化創造センター・美術ロフト
入場無料

ART PICNIC 特別展 アートピクニック ~美術を楽しむエイブルアート展~
会期:2011年8月6日(土)~10月2日(日) 10時-17時(入館は16時30分まで) 月曜休館 *祝日の場合翌日休館
会場:芦屋市立美術博物館
入館料:一般300円 大高生200円 

 

たんぽぽの家 夏のギフト2011

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?あなたに贈る“ものがたり”?

全国の障害のある人たちがつくる“うまいもの”、“アートグッズ”をご紹介します。
お知り合いの方へ夏のご挨拶として、ご自分へのご褒美として、個性豊かな贈り物はいかがでしょうか。

詳しいギフトの内容は下記のページへ!

http://tanpoponoye.org/hana/